2023年10月16日(月)ー10月21日(土)

 

「現代を内包する絵画」
美術評論家 清水康友

その描かれた画面は、光沢を有し内面からの膨張感に複雑な襞と皴を持ち、無機的で生命感は殆ど感
じられない。硯川秀人の描き出す絵画が、何らの意味を語らない抽象的状況を示すものと解する者がい
たなら、それは表面を眺めているのに過ぎない。
メガロポリス東京の巨大空間は、冷ややかで空虚さすら感じさせる。我が国が高度成長の波に乗り、大量生産大量消費を繰り返し、豊かさを享受していた裏の現実に画家は目を向けた。彼は大都会が吐き出す大量のゴミ袋を目にしてこれをモチーフとするが、そこには消費社会への怒りや非難はなく、若い美術家が直面した現実への驚きがあったのだ。この驚きの記憶が硯川絵画の原点となり、現在もその根
幹を成している。
硯川が絵画を描き始めた1970年代、アメリカでは都市社会が生む矛盾や絶望感を直接的に表現するスーパーリアリズムの作品が生れ、日本では彼が作品を発表し始めた‘80年代初頭に、写真週刊誌「FOCUS」が創刊され、三尾公三のエアブラシによる表紙作品が話題となった。エアブラシはコンプレッサーで絵具を吹き付け、筆触を無くし無機的ながらも写実性と幻想感を表現できるものだ。彼はこの新たな技法を用い、大都会の繁栄の象徴である黒いゴミ袋を描いた。当初はゴミの詰まった袋の無機的な実在感を描き、包み込まれた“現代”を表現した。今回は「garbage bags」(生ゴミの袋)という、より直接的なものを描いた。大都会の廃棄物を包む形状は、内在する不用物の外貌を伝えるが、同時にそれは都市の持つ閉塞感をも意味し、メガロポリスの裏側のクールな現況表現そのものである。
彼はSDGSや自然環境問題とは距離を置き、自身が培った技術と感性で現代を捉える。その行為は一見すると地味な様だが、制作に向けた誠実な積み重ねは、地道というべきである。実験的、挑戦的という事で全てが許容され、浅薄さが目に立つ今日、技とイメージに裏付けられ着実に遂行される造形が、如何に重要なものか硯川の作品は教えてくれる。